睡眠は、単なる休息ではない!

加齢に伴う睡眠障害への対応を述べる前に、睡眠そのものについてもう少し説明します。私たちは睡眠を「脳や身体の休息」ととらえていることが多いのですが、それ以外に睡眠には重要な意味があります。

左図をご覧下さい。これは睡眠に伴って分泌される成長ホルモンの変動を示したものです。上段のグラフは通常の時間帯に睡眠をとった時の成長ホルモン分泌曲線で、睡眠が始まって深い睡眠状態になると急激にホルモンが分泌されています。下段のグラフは徹夜をしているときのホルモン分泌ですが、深夜の急激な分泌はなく、一日を通してダラダラ分泌されています。きちんとした睡眠をとらないと、必要な時に必要な量のホルモンが分泌されません。寝入ってもすぐに目が覚めたり、途中で何度も目が覚めたりするような人は、この成長ホルモン分泌を正常化するためにも、睡眠を改善させる必要があります。

ここで成長ホルモンの復習をしておきます。成長ホルモンは子供の骨の成長に欠かせないホルモンで、このホルモンのおかげで子供たちは背が伸びていきます。しかし「成長」ホルモンという名前のために、このホルモンは「若年の子供にしか分泌されていない」と思われていることが多く、誤解を与えています。このホルモンは成人でも分泌されており、成人ではタンパク質を合成したり、脂肪を燃焼させたりする役目を担っています。タンパク質を合成するということは古くなった細胞や壊れた細胞を新しくして、身体を修繕していることを意味します。睡眠不足の翌日に肌荒れを自覚する女性がいますが、これも成長ホルモンの分泌不良が原因とされています。お酒をたくさん飲んで肝臓の細胞を壊してしまった時も、深夜の成長ホルモン分泌によって修復されていることがわかっています。また夕食をたっぷりとって夜更かし、きちんとした睡眠をとらない時にはこの成長ホルモンの分泌障害により、成長ホルモンの作用である脂肪燃焼が不十分になるため、肥満につながるとされています。

このように、我々の身体は睡眠中も体調の維持のためにしっかりと仕事をしています。それを知らないのは身体の持ち主だけかもしれません。

また成長ホルモン以外にも下図のように、種々のホルモンが睡眠中に分泌されており、きちんとした睡眠をとらないと、その分泌が障害されることがわかっています。 

 

コルチゾールという副腎から分泌されるホルモンは明け方近くに急速に分泌されています。このホルモンは脂肪やグリコーゲンを燃やしてエネルギーに変える働きをしています。夕食の後に就寝し、普通は起きるまで何も食べていません。この何も食べていない時期のエネルギーを用意するのがこのコルチゾールなのです。明け方にこのコルチゾールが脂肪を燃焼させて、エネルギーを補給し、起床後に身体が動くよう準備をしてくれています。このコルチゾールの分泌も睡眠が障害されると、正常な分泌にならないことがわかっています。このコルチゾールには抗炎症作用も強いのですが、睡眠が障害されるとその分泌が乱れるため免疫系に異常が生じ、感染への防御機構が減弱すると指摘されています。寝不足が続くと風邪を引きやすくなってしまう一因はここにあります。ちなみに三交代制の看護師には乳がんの発生率が高いと指摘されており、睡眠障害による免疫不全が影響していると考えられています。睡眠中に分泌されるこういったホルモンのことを知ると、睡眠が単なる休息ではなく、身体の維持にとって非常に重要なことがわかります。

さて、睡眠が加齢に伴って障害されてくるわけですが、それに対してどのような対抗策をとるべきか考えていきましょう。

医学部学生のときの生理学講義で、次のような内容を教わったことを今でも覚えています。『長い間眠らせなかった犬から脊髄液を抜き取り、それを元気な犬の脳内に注入すると元気な犬が眠ってしまう。ヒトを含めて動物が眠るのは、日中の活動により何らかの睡眠物質が体内に蓄積し、それが睡眠を誘発すると考えられる。しかし現状ではどのような物質が睡眠物質になるのか明確にはできない。』

この犬の実験は1909年(明治42年)に日本で行われています。その後、種々の研究がなされ睡眠を誘発する物質がいくつか同定されました。巻頭文に記したメラトニン以外で、比較的知られているのはプロスタグランジンD2という物質です。アフリカの風土病で、ツェツェ蠅に媒介される睡眠病の患者さんでは、血液中にこの物質が増加していることが確認されています。

私たちは日常生活を送ることで種々の睡眠誘発物質を蓄積し、眠りについています。しかし高齢になると日常生活が単調化し、精神的にも肉体的にも疲労感が残るほどの活動をしなくなる方が多く、このような生活になると睡眠物質の蓄積も少なくなり、睡眠が誘導されにくくなることがわかります。眠られないと悩む前に日中の活動量を見直す必要があります。

次に睡眠が誘導される条件を考えてみます。赤ちゃんを抱っこしていて手足が温かくなると、そのうち眠ってしまうことに気づいている人もおられると思います。これは睡眠が誘導されるには体温を下げる必要があるという事実に合致します。赤ちゃんは手足の血管を広げて熱を体外に放出し、そのことで体温を下げ、睡眠に移行しています。この現象は成人でも同様で、入眠するには身体の内部の温度である深部体温を下げなければなりません。

右図をごらん下さい。これはヒトの深部体温の変化を示したものです。午後9時過ぎから体温は下降し始めますが午後7時から9時までは体温が高いままであり、この時間帯に入眠しようとしても困難なのです。この時間帯には個人差があり、普段入眠している時間より数時間前は体温が高く、早く寝ようとしても入眠しにくいと考えた方がよいです。図の中に睡眠禁止帯と書かれています。これは体温の高い時間帯を意味しており、この時間帯に寝床に入っても寝付けにくいため、このように名付けています。体温が下がってきて初めて入眠できるのです。

診察の時、「ホームコタツに入ったまま寝ているが寝付きが悪く、途中で目が覚める」と訴える方がありました。ホームコタツに入ったままであれば深部体温は低下しにくく、良好な睡眠に移行することはできません。また電気毛布も同様で、つけっぱなしにするのは賢明ではありません。手足が冷たくて眠りにくいのであれば熱すぎないお風呂で身体を温め、その後、寝床に入ると体温低下と相まって入眠しやすくなります。このとき、お風呂の温度が高すぎると交感神経の刺激が強くなり、却って眠りにくくなるので湯船の温度には注意が必要です。

高齢者の睡眠を良くするために以下のようなことが勧められています。睡眠薬に頼り切る前にお試し下さい。
(1)起床、就床時刻をできるだけ一定に保ち、規則正しい生活を送る (2)30分以内の昼寝を15時以前に規則的にとるようにする(長時間の昼寝をすると夜間の睡眠がきわめて悪くなります) (3)十分な睡眠時間を確保しようとして、早くに就床しすぎないこと (4)温度、湿度、騒音、照明などの睡眠環境を可能な範囲で整える (5)午後に適当な運動を心がける。ただし就床直前の運動は逆に睡眠を妨げる (6)就寝前は食べ過ぎない。特に就床前は寝酒としての飲酒、カフェイン、ニコチンなどの摂取は控える (7)就床前にはぬるめの湯の入浴、音楽鑑賞、軽度の読書などで心身のリラックスを心がける。

なかなか寝付けない、途中で目が覚める。良く眠った気がしないと悩まれている方はご自分の生活を振り返ってみてください。なお睡眠障害にはうつ病が隠れていることもあります。前述の工夫をしても不眠が解消しないときにはご相談下さい。

【坂東】

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