クリニックから見た後期高齢者医療制度

§はじめに

今年4月1日から後期高齢者医療制度がスタートしました。制度の概要がなかなか明らかにならず、やきもきしました。3月22日土曜日に説明会があると医師会から連絡がありましたがクリニックの診療時間内であり、私は出席することができませんでした。マスコミからの情報や、医師会から送られてきた資料を分析しながら、当クリニックの患者さんにとって、後期高齢者医療制度がどのような影響を及ぼすかを考えてみました。

§後期高齢者医療制度とは?

後期高齢者医療制度のおさらいしておきます。75歳以上、また65歳から74歳でも身体障害者に認定されている人がこの後期高齢者医療制度に組み込まれます。これまでは会社の健康保険被保険者であった人や国民健康保険に加入していた人も、前記の条件に当てはまる人はすべてこの後期高齢者医療制度にまとめられます。そして、夫や子供の被扶養者になっていて、これまで保険料を支払っていなかった人も、保険料支払いの義務が生じ、個別の保険証が発給されます。また一定以上の年金を受け取っている人は、後期高齢者制度のための保険料は年金から天引きされます。

§後期高齢者医療制度の実際

これまでは普通の医療保険であった人が後期高齢者医療制度に変更され、当クリニックを受診したとします。そして私がこの制度を採用し、後述の後期高齢者診療料を利用して診察するとすればどのような状況になるか、シュミレーションしてみました。後期高齢者診療料の対象となる疾患を別表1に記しました。

別表1:後期高齢者診療料の対象疾患
糖尿病、脂質異常症、高血圧性疾患、認知症、結核、甲状腺障害、不整脈、心不全、脳血管疾患、喘息、気管支拡張症、胃潰瘍、アルコール性慢性膵炎

後期高齢者の患者さんが受診し、後期高齢者診療料という費用を使った診察が終了すると、患者さんはこれまで通り、診療に要した費用の一部負担金をクリニックで支払います。現役並みの収入のある方は3割負担、そうでない人は1割負担です。診療費用の総額は、再診料(710円)+外来管理加算(520円)+後期高齢者診療料(6,000円)の合計7,230円です。3割負担の人は2170円、1割負担の人は720円の支払い額になります。患者さんが支払った金額を差し引いた残りの費用を、クリニックは広域連合という、都道府県単位で新たに設立された後期高齢者医療制度を運用する保険者に宛てて請求します。この後期高齢者診療料は月に1回請求されるだけであり、ひと月に複数回、同じ診療所を受診しても再度徴収されることはありません。なお、後期高齢者診療料を使った診療は、本人の同意がなければできません。また患者さんが後期高齢者診療料を利用して診療を受ける医療施設は原則として診療所に限られ、かつ1カ所に決めなければなりませんが、変更は可能です。

§軽症の患者さんに後期高齢者診療料を適用したら‥

病状が安定した軽症患者さんに後期高齢者診療料を算定すると、これまでの当クリニックの診療報酬より高くなってしまいます。合併症が少なく、軽症の患者さんに対して私が行ってきた診療方法は、以下のようなものでした。採血と心電図は市健診で代用し、医療保険は使用しない。保険診療では通常の診察、投薬に加えて年に1回の胸部レントゲン写真と食事相談を行う。このような方法で診察してきた患者さんにとっては、後期高齢者診療料を利用した診療では金銭面での負担が強くなります。

§合併症の多い患者さんに後期高齢者診療料を適用したら‥

軽症の後期高齢者患者さんは当クリニックの場合非常に少なく、冠状動脈バイパス術後、風船治療術後、心臓弁膜症術後、大動脈瘤術後、脳梗塞、慢性腎不全、糖尿病、脂質異常症などたくさんの病気を合併した方が多いのが現状です。合併症のある方を診察していくとき、前述のような軽症患者さんと同様の簡単な方法では対処できません。

心臓超音波検査、トレッドミル運動負荷検査、24時間連続心電図検査、糖尿病での定期的なヘモグロビンA1c検査、トロンボテスト、腎不全への進行を防止するための採血検査など、複雑な病変をコントロールしていくための検査を行わなければなりません。

後期高齢者医療制度の後期高齢者診療料を利用してしまうと、こういった検査はすべて後期高齢者診療料の月額6,000円でまかなわなければならないという制約があり、年間を通じて考えると、必要経費が後期高齢者診療料の総額を大幅に上回ってしまいます。クリニックの持ち出しでこれらの検査をしなければならなくなるのです。

§後期高齢者診療料の6,000円が意味するもの

後期高齢者診療料の6,000円とは、医師、看護師、管理栄養士、臨床検査技師などスタッフから患者さんへの指導管理に関する情報提供に加え、年間に行うかもしれないレントゲン検査、採血検尿検査、心電図検査、超音波検査などすべてを含めた値段なのです。後期高齢者診療料を利用した医療では、患者さんが急変したときに追加の検査を行っても、1項目が5,500円未満の検査は請求できないことになっています。レントゲン写真や心電図検査、採血検査はそれぞれ5,500円未満の検査であり、これらはすべて後期高齢者診療料6,000円に含まれると見なされています。例えば肺炎で採血、胸部レントゲン撮影を行っても、それは請求できません。また急性心筋梗塞症で心電図をとり、採血検査を行ってもそれも請求できません。すべて後期高齢者診療料の6,000円に含まれているとされているからです。高齢者の診療では急変させないことが重要であり、そのためには少し変化が見られたときにはその原因を確認するための検査が必要です。肺炎や急性心筋梗塞症を疑って前述の検査を行っても、やはり請求できません。「疑い」の段階で未然に病気を食い止めようとしても、「急変時」に病気を発見しても、これらの診療行為は6,000円の中に含まれているとして、評価されないのです。

§後期高齢者診療料を適用した医療の問題点と今後の展望

後期高齢者診療料を採用した診療では、必要な検査でもそれをすればするほど診療所は赤字になり、検査をしない診療所ほど黒字になるという仕組みになっています。このような制度は「できるだけ診療はすまい」という萎縮医療につながることでしょう。重症の患者さんをたくさん診察する診療所にとっては財政的な負担が強くなる、やっかいな構図が浮かび上がります。

年をとれば病気が多くなるのは当たり前であり、75歳以上の人をひとまとめにして、一定の診療費用で健康を維持しようとしても、それは無理なのです。プロ野球選手を対象にした傷害保険を作るようなもので、怪我をする人は多く掛け金は高くなります。高齢者の医療では何が問題となり、財政的にもどのようにすればよいか、国民にきちんと情報開示を行い、しっかりと議論した上で、決定されるべきです。制度の詳細を医療現場に伝えたのが制度施行の10日ほど前というのも、泥縄式で拙劣なやり方です。批判が多いからといって後期高齢者医療制度という名称を長寿医療制度と変えたところで、本質的な問題は何も変わりません。今回施行された後期高齢者医療制度は根本から考え直す必要があるでしょう。

なお、現行の後期高齢者医療制度では後期高齢者診療料の6,000円を算定するか、これまで通りの出来高払い診療にするかは診察する医師の裁量に任されています。今後この裁量が許されるかどうかは不透明なところがあり、心配しています。厚生労働省はどちらを選択してもよいとはいっていますが、今回の新たな制度を作った理由は、いずれ一つの方式、つまり「後期高齢者には後期高齢者診療料を利用した診療を行わなければならない」という制度に収斂させる足がかりであろうと思います。そのようになると、後期高齢者に対して行える診療が大きく制限されることになり、まともな医療が受けられなくなります。またそうなった場合、厚生労働省のこれまでの常套手段として、6,000円を5,000円、4,000円と引き下げてくるのは目に見えています。後期高齢者診療料で払いきれない医療費のために、私的な医療保険への加入を誘導する動きが出てこないとも限りません。団塊の世代をはじめとして、現在75歳未満の人も将来はこの制度に組み込まれる訳であり、他人事とは考えず、この制度がどのような問題点をはらんでいるか、どのように変更されていくか、慎重に見極める必要があります。ある高齢の患者さんが言われました。「ワシは若いときからこれまで、きちん、きちんと税金を払うてきた。それがこの齢になって、こないあしらわれるとは‥腹がたって腹がたってしゃあない。」

§最後に

当クリニックの高齢患者さんには、大なり小なり、合併症のある方が多いため、4月から開始された後期高齢者医療制度下の後期高齢者診療料を私は算定せず、必要な検査を必要な時に行い、それを出来高払いで請求するこれまで通りの診療を行うこととしています。


【樹齢7200年とも推定される縄文杉】
(HP:屋久島の世界自然遺産と縄文杉登山)
「老いたから」との理由で、若い杉に劣ると非難されることはない。

【坂東】