vol.4  開業医院で診る胸部大動脈解離

§はじめに
 一般開業医院で急性大動脈解離に遭遇することは非常に少ない。しかし確実に存在する疾患であり、判断を誤ったときには医療過誤訴訟に発展する可能性もある。日常診療で急性大動脈解離に対してどのように考えておくべきか、私の知る範囲内で記載してみようと思う。

§頻度
 100万人に30-40人の発生率とされている。1)人口80万人の徳島では年間発生数が20-30人程度になる。しかし私が2000年代前半に徳島赤十字病院で経験した大動脈解離症例数は年間30-40例であった。他院に搬送された症例があることを考慮すると、実際の発生率はもう少し高いと思う。原因不明の死亡や突然死の中に急性大動脈解離が紛れ込んでいる可能性も高い。それらしくない大動脈解離もあるため、実際の頻度は報告されている発生率よりは高いと推測している。「これはなんだろう?」と診断しにくい時「解離ではないか?」という思考回路を開けておくとよいと思う。

§自覚症状
 急性大動脈解離による胸背部痛の特徴には以下のような事項が挙げられる。
 1.突然出現して非常に強い
 2.発症した時間を何時何分頃と指定できる
 3.前兆を伴わない
 4.発症時が最も強く次第に減弱する
 5.解離の進行によって痛みの部位が移動しうる 
 しかしすべての症例がこの特徴を備えている訳ではない。私が経験した症例の中でもこれらの特徴を示さない非典型例が多々あった。以下に記す。

その1,右上肢のだるさと痛み
  突然の右上肢のだるさと痛みを訴えて救急受診された。救急担当医は右鎖骨下動脈閉塞を疑い、血管造影を施行した。血栓塞栓除去を施行しようとしたが奏功せず、疑問に思い再検討したところStanford A型急性大動脈解離による腕頭動脈閉塞であることが判明した。緊急の上行大動脈置換術を施行した。

その2.意識消失
  意識消失を起こし救急車で搬送された。脳卒中を疑い頭部CTを施行したが出血はなく、脳梗塞症を疑いICUに入院した。入室後の胸部レントゲン写真で縦隔の拡大を認めたため急性大動脈解離が疑われ、UCG、胸部CTで確診がついた。

その3.上腹部背面の痛み
  上腹部背面の痛みがあり救急病院に搬送された。特別な所見はなく膵炎として治療された。2年後の胸部レントゲン写真で左第1弓の拡大を指摘され紹介。胸腹部CTでStanford A型慢性大動脈解離が判明し、血管径の拡大を認めたことから上行ー弓部ー下行大動脈置換術を施行した。

 このように、典型的な胸背部痛を訴えない胸部大動脈解離は存在する。こういった症例を医療設備の整っていない一般開業医院で詳細な診断を下すことは不可能である。綿密な鑑別診断をしようとして時間を浪費するべきではなく、救急処置が必要と判断すれば即座に急性期病院に連絡し、転送した方がよい。後述するように、急性大動脈解離の治療は時間との勝負になる。詳細な鑑別診断を行い、治療するのは急性期病院医師の役目である。「ようわからんけど、危なそうなのでよろしく」という紹介になっても仕方がない。

§急性大動脈解離で手術に至らずに死亡した症例
 急性大動脈解離が疑われ転送されてくる途中や、病院に到着して診療を開始したにも関わらず死亡された症例として、以下のような経験がある。
1.救急車で搬送中に救急車内で心肺停止(救急車の到着が遅いため、紹介先の病院に連絡すると「車内で心停止したためUターンして元の病院に帰っている。」との返事であった。)
2.急性大動脈解離を疑い胸部CTを撮影中に心肺停止(救急外来からCT室に搬送し、CTを撮影していた。画像の出来上がりに注目していたところ「先生、呼吸がとまってます!」と看護師の叫び声があった。)
3.ICUに搬送後心肺停止(診断を確定して手術準備を進め、手術室に搬入する直前にICUでElectro-mechanical dissociationとなり死亡された。)
4.手術室に搬送し手術台にのせてすぐに心肺停止(ストレッチャーで手術室まで搬送し、手術台にのせたとたんに眼球挙上を呈し死亡された。)
4.手術を開始し胸骨縦切開後、上行大動脈破裂により心停止(胸骨正中切開で開胸し、心嚢を切開して心臓を露出した。人工心肺装置にのせる用意をしているときに上行大動脈が破裂した。出血の制御は不可能でありそのまま逝去された。)

 こういった経験をしたことから、急性大動脈解離が搬送されてくると連絡があった時点で外科医、麻酔医、手術室看護師、臨床工学士をただちに召集する体制をとるようにした。無駄足を踏ませることもあったが、皆よく理解してくれた。「急性大動脈解離の治療では時間との勝負になる」ということが理解戴けると思う。

§心電図診断の落とし穴
 成書には「心電図異常がないことは大動脈解離を疑う根拠の1つとなる。」1)とある。別の専門書にも急性冠症候群などからの鑑別点として、大動脈解離の心電図所見には「特になし」と記されている。2)しかしこれは正確な記載ではない。上行大動脈に解離があり、その解離が大動脈基部に進行して冠状動脈入口部を圧迫すると、心電図は急性心筋梗塞症のそれと変わら
ない。右冠状動脈入口部が圧迫されると下壁梗塞の心電図変化を示し、左冠状動脈入口部が圧迫されると左冠状動脈主幹部病変のような心電図変化を示す。心筋梗塞症であると診断しカテーテル治療をしていても符に落ちない点があり、再度の検討で大動脈解離による冠状動脈入口部狭窄であったと判明した症例を数例経験している。
 しかし開業医院でこの見極めをしようとして時間を浪費すべきではなく、急性心筋梗塞症疑であると診断して急性期病院に搬送しても何ら問題はない。その診断が正しいか、他の疾患による症状ではないかと疑って諸検査を施行しなければならないのは急性期病院の医師である。

§胸部レントゲン写真の落とし穴
 胸部の急性大動脈解離では「縦隔陰影、大動脈弓の拡大」があると記載されている。1)しかし血栓閉塞型の急性大動脈解離では、胸部大動脈が拡張するほどの病変が生じないことがあり、胸部単純レントゲン写真では判別できない。
 強い胸痛を訴えている患者さんに立位でのレントゲン写真をとることは困難であり、仰臥位のA→P像を撮ることになる。この撮影方法だけで縦隔は拡大して撮影される。また息こらえも不十分となり呼気位での撮影になることが多く、なおさら縦隔陰影は拡大される。運良く立位の胸部レントゲン写真が撮れたとしても、高齢の患者さんであれば亀背に近い人が多く、胸部をフィルム面に近接できない人もある。医師がレントゲンを撮影するとそのことによる縦隔陰影拡大の理由もわかるが、開業医院で放射線技師以外の他のスタッフに撮らせたりするとその点を見落としてしまう。

§胸痛の原因を考えるにあたって
 前述したように強い胸背部痛を訴えなくても急性大動脈解離を発症している可能性はある。種々の強さの胸背部痛を訴える疾患は多岐にわたるが、開業医院では急いだ処置が必要なものかどうかの鑑別が要求される。循環器疾患を考えた場合の、急がない痛みの特徴としては以下の事項が挙げられる。
1.体表面から「ここが痛い」と指摘できる痛み
2.痛みに広さがなく、ピンポイントで指摘できる痛み
3.体位により変動する痛み(首をひねると肩や胸、背中が痛いという訴え)
4.湿布やマッサージで軽減する痛み
1.から4.のような特徴をもつ痛みを訴える場合は、心臓・大血管由来のものではないと判断できる。判断に迷うときはその分野の友人医師や急性期病院医師に相談すればよい。

 因みに私は自分の不得意な分野に関して、教えを請える貴重な友人・知人がいて、大いに助かっている。内科全般に関してはK先生、消化器疾患に関してはT女史、耳鼻科領域ではK先生など、私の弱点を補ってくれている。また、逆に先輩のT先生は「心電図、ファックスでおくるけん、みてくれへんで?」とよく送ってこられる。いろいろとご恩のある先生であり、丁重にご返事している。医師会の若い先生方もこのような互助のネットワークを広げて行かれればと思う。

§理学的所見
 急性大動脈解離を理学的所見から疑う時には以下の所見が役に立つ。
1.血圧の左右差 
「一方の上肢がだるい、冷たい」と訴えて撓骨動脈拍動が減弱したり触れなかったりする。
2.大動脈弁逆流
ふだん診察している患者さんで、胸痛を訴え、あらたに大動脈弁逆流音を聴取するときにはStanford A型急性大動脈解離による大動脈弁閉鎖不全症を疑う。
3.血管雑音
胸痛を訴え、これまで聴取していなかった血管雑音を頸部や腹部で聴取する
4.大腿動脈拍動などの減弱、消失
解離が腸骨動脈レベルまで進行すると下肢の血流が障害され、大腿動脈拍動が減弱したり消失したりする。

§結論
 急性大動脈解離に遭遇することは非常に稀ではあると思う。しかし確実に存在する疾患である。胸痛を訴える患者さんが来院した時には、その成因のひとつとして大動脈解離があることを頭の隅においておく必要はある。しかし胸痛の原因を詳細に詮索し、確定診断をつけてから救急病院に搬送しようとしない方がよい。開業医院では早急な治療が必要かどうかの判断がもっ
とも求められる。主訴や理学的所見に加えて、安静時心電図、胸部レントゲン写真、自院で結果のでる採血、UCGなどを適宜組み合わせ、救急治療が必要であると判断ができれば、可及的速やかに急性期病院に連絡・搬送した方がよい。正確な診断ができて紹介できれば格好はよい。
  しかしいずれの疾患にしても、患者さんのためにはできるだけ早い時期に治療を開始した方がよい。判断に迷うときは他医に相談すればよい。

 急性冠症候群、急性大動脈解離、胸部大動脈瘤切迫破裂、急性肺動脈血栓塞栓症を正確に診断できるのは医療設備があってのことであり「AかBか、判然としないが、急いだ治療が必要だと思うので搬送する。」という診断でよい。
 必要最小限の検査を施行してからの紹介であれば、最終診断が誤っていても何ら恥じることはない。開業医院が急性期病院にとって「オオカミ少年」になってもよい。開業医にとっては治療のゴールデンタイムを逃さぬよう、適切な時期に急性期病院に連絡・転送することが最も重要である。

文献
1)大動脈瘤・大動脈解離の臨床と病理 由谷親夫、松尾 汎 医学書院 2004.
2)岩崎仁史、中野赳:胸・背部痛を訴える循環器疾患の鑑別診断  
  Heart View 8:412-416,2004.  

(徳島県医師会報収載)

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