vol.1  私の想う外来看護

 外来看護を考えるにあたり、そもそも「看護とは何か」ということからとらえ直すこととした。これまで私が読んできた看護論の中でもっとも共鳴できたものはヴァージニア・ヘンダーソンの『看護の基本となるもの』だ。以下に一部を引用する。

 看護とは病人であろうとなかろうと、ある人間に手助けをして、その人の健康を維持増進させ、あるいは健康状態へと回復させ、時には安らかな死に至らせることに寄与する行為である。ただしこういった行為はその本人が一定の強さと意志と知識とをもっていれば助けを必要としないはずのものである。しかし万人にそのような資質が備わっているわけではないので、他人への依存性をなくさせるのをそばにいて手助けすることも看護の一機能である。以上を具体的に説明すれば看護婦は人々を助けて次のような活動を行うのである。
1)正常に呼吸させること
2)適切に飲食させること
3)すべての排泄機能を活用して排泄を順調にさせること。
4)望ましい姿勢を保たせ、また動かせること(歩いたり、坐ったり、臥したり、ある姿勢から他の姿勢に移ったり)
5)睡眠と休養をとらせること
6)適当な衣服を選び、脱ぎ着させること
7)衣服を調節したり室温を調節したりして体温を正常な範囲に維持させること
8)身体をきれいに身なりをととのえ、皮膚を保護すること
9)他から受ける危険性やその人が他人に与えそうな危険性を未然にさけること
10)他人との間に意志を通じさせ、感情を表したり要求その他感じていることを表示できるようにさせること
11)信仰する宗派にしたがって礼拝させること
12)何かを成し遂げたという気持ちをもたらすような仕事をさせること
13)遊びやその他いろいろなリクリエーションの類に参加させること
14)学習し新たな発見をしあるいは好奇心を満足させそれらを通して健康人としての健全な発達に導かれること

上記「看護の基本となるもの」を循環器科・心臓血管外科外来に当てはめてみる。

1)正常に呼吸させること
  COPDを合併した患者さんに狭心症が合併しているとき、どのような呼吸方法が狭心症を誘発しにくいだろうか。口すぼめ呼吸は心臓への静脈還流を低下させ、症状のある狭心症の患者さんには不利に働く。積極的な血行再建が必要なのか、それとも内服治療で様子を見ざるを得ないか、呼吸の様子をみて主治医と方針を相談しなければならない。低酸素血症に対して通常よりは早く在宅酸素療法を開始しなければならないかもしれない。禁煙を守れない患者さんにどのような援助をして禁煙達成に至らせることができるだろうか。
  心不全で調子が悪いとき、どのような体位で呼吸をすれば楽になるか、そしてそのような呼吸困難感が生じたらどう対処すればよいかの説明が重要だ。病院へ行かなければならない症状、タイミングを本人や家族に伝えなければならない。

2)適切に飲食させること
  糖尿病、高脂血症、心不全の患者さんにとって適切な食事の方法を説明する。総論的な食事調整は管理栄養士からなされるだろう。しかし狭心症発作が生じやすい時の分食方法や軽い球麻痺のある患者さんに誤嚥を避ける摂食方法を説明することなどは看護師が腕を発揮すべき点であろう。なぜ食べ過ぎてしなうのか、過食を避けるにはどうすべきか、太りやすい食べ方とはどのような食べ方か、などの行動療法的な調整も重要な点である。また単身赴任の患者さんにとって健康的な食事を得るには、どこでどのようにしたらよいかなど説明することも切実な問題と思う。「適切に食べましょう。」と話すだけならだれにでもできる。個々の患者さんに具体的にどのように生活調整するのが適切か考えなければならない。

3)すべての排泄機能を活用して排泄を順調にさせること。
  狭心症・大動脈弁狭窄症・心不全の患者さんにとってどのような排泄方法が危険であり、それを避けるためにはどのようにすべきかの生活調整は非常に重要である。排便時に気張ることから何人の患者さんが心不全や狭心症発作を起こして死線をさまよったことだろう。バルサルバ効果のかからない排泄方法をとるには現在の緩下剤のみで可能かどうか。重症の患者さんに対しては緩下剤の追加が必要かどうか始終確認が必要だろう。食事で便秘をきたすような摂食方法をとっていないか。自宅のトイレが屋外にあったりしないか? 不眠を訴える患者さんの中に夜間の頻尿が原因の人もいる。高齢男性の排尿機能に対する確認も重要である。

4)望ましい姿勢を保たせ、また動かせること(歩いたり、坐ったり、臥したり、ある姿勢から他の姿勢に移ったり)
  狭心症・弁膜症・心不全・深部静脈血栓症などの患者さんにとって日常生活で避けたい姿勢や運動とはどのようなものか。健康増進としてどのような運動が適切かを説明する。運動しましょうといってもどのような基準で何をすればよいのか、放置されたままである。

5)睡眠と休養をとらせること
  忙しい職業人に心臓病が合併しているとき、どのように睡眠をとり、休養をとることが効果的かを説明する。そのためには会社にどのように持ちかければよいか。診断書があれば有効かなど。チオビタドリンクやリポビタンDを飲み、疲労を回復させられると思い、仕事に励む人の何と多いことだろう。

6)適当な衣服を選び、脱ぎ着させること
  きついボディースーツを身につけたり、痩せると宣伝されているパンツをはいてくる人が結構存在する。心臓や下肢に負担をかけない衣類とはどのようなものか説明する。

7)衣服を調節したり室温を調節したりして体温を正常な範囲に維持させること
  狭心症の発作を誘発するような寒い環境をさけるにはどのような室温・衣類が適切かの生活調整をする必要がある。

8)身体をきれいに身なりをととのえ、皮膚を保護すること
  心臓病と言われただけで風呂で首まで湯に浸かっては行けないと信じているひとがいる。どのように場合分けして説明すべきか。

9)他から受ける危険性やその人が他人に与えそうな危険性を未然にさけること
  酒やタバコを他人から勧められたときにどのように断れば効果的か。自分の薬を他人に勧める危険性の説明など。

10)他人との間に意志を通じさせ、感情を表したり要求その他感じていることを表示できるようにさせること
  狭心症の発作を起こしやすい人が激高したりすればどのような変化が起こりうるかを説明し、それを避けるよう生活調整をする。

11)信仰する宗派にしたがって礼拝させること
  礼拝方法で心臓病に負担のかからない方法は?呼気が持続する長時間の念仏はバルサルバ効果から心臓に負担がかかる可能性がある。

12)何かを成し遂げたという気持ちをもたらすような仕事をさせること
  心臓病を患った人の中には人生の目的を見失ってしまう人がいる。そのような人に再び生き甲斐を持たせるような働きかけはどのようにしたらできるか。

13)遊びやその他いろいろなリクリエーションの類に参加させること
  どのような遊び・レクリエーションが安全であるか。狭心症発作のある人や心不全傾向にある人がカラオケでこぶしを効かせて演歌を熱唱することの危険性を説明する。

14)学習し新たな発見をしあるいは好奇心を満足させ、それらを通して健康人としての健全な発達に導かれること
  疾患に関する理解を深め、周囲の人の生活調整をもできるまでに知識を蓄えてもらうにはどのようにすればよいか。説明のためには視覚・聴覚・触覚などに訴えるどんな方法が効果的か考える。

 私が考えただけでもこれだけの外来看護が存在する。こういった生活調整にはかなり広範囲で深い知識が要求される。勤務交替がルーチン化されているようではまず無理であろう。どの科の外来業務もできる看護師は表面的には病院の戦力になっているように見える。しかし、それは真の看護師としての戦力ではなく、たんなる診察介助者・医療秘書の戦力である。医師の単なる診察介助は一定のトレーニングを積んだ事務職員なら可能である。いわゆるメディカルセクレタリー(医療秘書)という存在がそうだ。しかし患者さん個々の病態を基礎に、患者さんの生活調整ができるのは看護師しかいない。また、一人一人の患者さんに対してこのような生活調整を行う場合、日時を分散して行うにしてもかなりの時間を要するのは明らかである。現在のように少人数のスタッフで多数の患者さんに対処している状況では物理的に不可能だ。医療法では外来の患者さん30人に一人の看護師が必要と規定されているが、一人の看護師が30人の患者さんに前述のような看護を展開しようとしても全く不可能である。将来、病院外来が紹介外来や特殊外来に特化し、患者さんの数がかなり減少した場合には、看護師の外来看護が日の目を見ることもあるかもしれない。 (しかしその時には複数科の兼務を指示されるかもしれない‥)

 また、こういった生活調整は総論的に行っても効果は少ない。個別化したものが望ましい。最近、オーダーメイド医療という用語が使われている。患者さんの遺伝子特性を考慮し、これまでのようにガイドライン的治療をそのまま当てはめるのではなく、個人の特性にそった治療を行おうとする動きである。遺伝子特性とまで言わなくとも、個々の患者さんにあった生活調整が行われなければ効果は少ない。多人数同時の講演形式よりFace to faceの一対一形式が望まれる。患者さんへの動機付けにしても、視覚的な訴えから、聴覚的な訴え方、触覚的な訴え方などいろんな方法がある。どのような方法がその患者さん個人に対して効果的であるかなど見極めて生活調整することも必要であると思う。

 効果的という言葉を使用したが、患者さんに理解してもらおうとすると、時間も手間もかかる。効果的に物事を済まそうと思っても対人間の業務は手間暇がかかると私は認識している。「効果的に人を愛する。」ということができないのと同じだ。蛇足ながらヘンダーソンはさらに次のように述べている。「誰もが自分の専門の仕事にさしつかえるほど非医療的な仕事、例えば記録したり、とじ込んだり、また洗濯したりといった雑用にわずらわされるべきではない。」

  さて、急性期診療を目指す日本中の病院は、在院日数を可及的に減少させるべく今後もその方針を強めていくことだろう。この方針が徹底されるということは、いわゆる半病人がそのまま家庭に帰ることを意味する。生乾きの状態で家庭に帰ってみると、病気をもって生活することの意味や問題点が沸々と沸き上がってくることだろう。そのとき、その疑問点をだれに相談すればよいのだろうか。急性期病院の外来担当医は忙しく、かつ患者さんの生活調整能力はゼロに近い。外来担当医がそういった類の相談に乗れるとは思えない。ましてや急性期病院に長期間通院することはできないのだから‥・患者さんの困惑を解消できるのは外来看護師だけになる。しかし外来看護師があいかわらず、診察介助に明け暮れていれば、患者さんは途方に暮れることに間違いはない。悪いことに、患者さんに対する看護師の生活調整業務には診療報酬はつかない。しかし患者さんにとっては非常に切実な問題である。お金儲けにはならなくても、病気の再発を予防したり快適な生活を送るためには、看護師が踏み込まなければならない分野であると私は思う。

 だれもが本来の看護師としての仕事をしたいだろうと推測している。しかしなぜそれができないのだろうか。構造改革の一環として日本の医療費削減が叫ばれている。しかしこの論調に異を感じる人は多いと思う。医療現場では毎日毎日くたくたになるまで働いているのに、日本の医療費が多いと言われる。医療費を減らさなければならないと言われる。あとどれだけ頑張って仕事をすればいいのだろうと感じている人は多くないだろうか?

 日本の医療費が他の先進国にくらべて格段に多いのなら批判にも耳を傾ける。しかし経済開発協力機構(OECD)加盟28カ国の中で2002年の国民総医療費の対GDP比を比較すると米国の14.6%を筆頭にドイツ10.9%スイス11.2%フランス9.7%と続きさらにカナダ、ノルウェー、オーストラリア、イタリア、スウェーデンなどの後方に位置して日本は7.8%の18位となっている。米国で生活してみると1ドルは優に200円ぐらいの価値があると実感する。日本で150万円のペースメーカーが米国では30万円程度だったりする医療材料費の内外価格差という問題もあり、前記のGDP比から換算した金額以上の医療を他国では行えている

 日本のように急激な高齢化社会が進み老人の割合が増えれば、老人医療費が増大するのは当たり前だ。日本の医療費は決して多いわけではなく、医療現場職員の献身的な就労で支えられている現実をもっとアピールしなければならない。一人あたりの医師が外来で診療する患者数は米国のその比ではない。私が病院勤務していた時の一時間予約診療患者数が13人などというのも異常だ。また、看護師が担当する患者さんの多さも群を抜いて多い。看護師も人件費の節約という観点から看護業務とは本質的に異なる業務もたくさん抱えてきた。本当にいい医療を行う基本の一つは医療従事者の『ゆとり』であると私は考えている。 外来看護に対する意義を社会にも、厚生労働省にも認識させ、診療報酬として認められる業務にしなければならない。そのためにはたとえ儲からなくても「どうだ、これが看護師にしかできない外来看護だ。」と胸を張れる仕事をして社会に周知させ、後進のために道を造るべきであると思う。理想論だと笑い飛ばしてしまうのは簡単だ。しかし、「収益性のために」という錦の御旗のもとに、外来看護師本来の業務から目をそらせば、いずれその存在価値が問われてしまうことになるだろう。患者さんの病状を悪化させずさらに快適に、そして早期に社会復帰できるような援助のできる外来診療を行おうとするとき、外来看護師が患者さんの生活調整のための業務に従事し、診断治療する医師と共に車の両輪となり、外来診療・看護を進めていくことが重要であると思う。もちろん、一朝一夕で達成できるとは思っていない。しかし何が外来看護の目標なのか確立し、それを見つめて、長期間かかってもそれに到達するよう進むべきである。悪くなってから治療するのではなく、退院後または通院中に病状の悪化を来さないよう、病気をもった患者さんの生活を調整するため、外来看護師がその任務を果たさなければならない。外来看護師が看護婦本来の面目に立ち戻れるよう、声を大にして主張すべきである。

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